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6月9日メッセージより

2024/06/12(水)

2024年6月9日 教会創立記念・花の日子どもの日礼拝メッセージ「信じる人になりたい」より

水谷憲牧師

聖書 ヨハネによる福音書 3章 36節

 今月は私の母方の祖母が死んで20年。家の裏手の寺へ、祖母はいつも熱心にお参りをし、「仏教婦人会」の世話役もしていたという。祖母がいつも仏壇に向かって手を合わせる姿しか見ていなかった私は、活動的な祖母の姿を葬式で初めで聞かされ、大変驚いた。世の中には宗教に不信感を抱く人々、もともと宗教に興味を示さない人々、他の宗教を熱心に信仰する人々もおられるが、私の祖母も含め、みな永遠の命にあずかれないばかりか、神の怒りまで買うのだろうか。

 キリストの教えの基本は、やはりマルコ福音書12章にあるような「最も重要な掟」についての言葉だろう。マタイ福音書7章においてもイエスは、「私に向かって『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。私の天の父の御心を行う者だけが入るのである」と言われる。一方で大乗仏教の教えは「私たちは煩悩を持ったまま幸せになれる。私たちはそのままでみんな仏である」という教えだという。自分も隣人もみんな仏として敬い大事にし合う姿、自分がありのまま受け入れられることに救いと喜びを見出すだけではなく、そこからもっとお互いにかかわりあってゆく姿。キリストの言われることと重なる。本当に立派な方々は、結局同じような答に行きつかれるのだろう。私の祖母も、仏教婦人会において豊かな交わりを広げていたであろう。キリスト教のことは知らずとも、私が洗礼を受け、牧師になる時も、変わらず見守ってくれた。そんな祖母が、西方浄土にせよ天国にせよ、行けないわけはない。神は喜びこそすれ、怒って文句を付けるようなことはきっとなさらない。

 「御子を信じる者」とは、神の独り子であるイエスを救い主と信じ、キリストが命を懸けて教えられたことに従おうとする者。「御子に従わない者」とは、宗教に距離をとる人々でも他宗教の徒でもなく、「神様、神様。主よ、主よ」と口ばかりで具体的に御心を行うことのできない人、別にそれでも「まあええか」と思ってしまう人。私たちの一面でもある。イエスを信じ、その教えに耳を傾け、転んだりつまずいたりしながらも、一生懸命キリストに従おう、ついて行こうとすることで、本当の意味での「信じる人」となっていきたい。そんな私たちの姿を見て、私たちの子どもたちも育ってゆくのだ。

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